結婚指輪の起源は非常に興味深いものです。 指輪を交換する慣習は3,000年前にまで遡りますが、歴史上最初のダイヤモンドの結婚指輪は、1417年に亡くなった未亡人の遺言に記録が残っています。 指輪、特にダイヤモンドの指輪がロマンスの究極の象徴となっているのはなぜでしょうか?
このブログの内容は次のとおりです。
結婚指輪の始まり—古代エジプト、ギリシャおよびローマの結婚指輪
婚約指輪の発展—中世およびルネサンス期の結婚指輪
女性がダイヤモンドの結婚指輪を身に着ける慣習はいつから?
婚約指輪と結婚指輪に別々の指輪が使われるようになったのはいつから?
男性が結婚指輪を身に着ける慣習はいつから?
ダイヤモンドの婚約指輪はどのようにして慣例化したか?
結婚指輪の始まり—エジプト、ギリシャおよびローマの結婚指輪
永遠を象徴するものとして指輪を最初に使用したのはエジプトのファラオでした。 円には始まりも終わりもなく、エジプト人があがめる太陽や月の形を反映していることがその理由です。 また、指輪の中心の空間が未知の世界への入口を象徴するとも考えられていました。 エジプトのウロボロス(ouroboros)の指輪は自身の尾を呑み込もうとする蛇を描いており、物事の輪廻を象徴しています。 ウロボロスは世界最古のシンボルの一つで、その名はギリシャ語で「尾をむさぼり食う者」を意味します。
このモダンなウロボロスの指輪は、眼にサファイア、尾にダイヤモンドがセットされた蛇が特徴です。 提供:1stDibs
アレキサンダー大王がエジプトを征服した際に、ギリシャ人は献身を表す指輪を恋人に贈る慣習を取り入れました。 こうした指輪の多くは愛の神であるエロス、別名キューピッドを描いたものでした。 ギリシャを征服したローマ人はこの伝統を受け継ぎ、結婚の儀式で鉄製および銅製の指輪を使用し始めました。 鉄製の指輪には、妻が家財の支配権を握るようになったことを意味する鍵のモチーフが使用されることもありました。 しかしながら、2世紀までは、ほとんどの指輪が金でできていました。

この古代ローマ時代のゴールドの鍵の指輪は4世紀のもの。 「麗しき人の指輪」を意味するギリシャ語の刻印 Πουλχρης (Poulchrīs)は、指輪を受け取る相手が最も美しい女性であることを讃えています。 写真:Richard P. Goodbody Inc. (CC0 1.0)
3世紀および4世紀からは、金の指輪は贈り主の富を誇示する、ぜいたくな様式のものとなりました。 結ばれた二つの右手を表すフェデ リングは、友情、パートナーシップや結婚の誓いを象徴し、この時代に流行しました。
このデザインは金で作られ、また、オニキス、カーネリアン、ガーネット、アメシストなどの宝石にもインタリオとして頻繁に彫刻されました。 ローマ人は、後には指輪に自分たちの肖像を彫るパーソナライゼーションを始めました。
古代エジプト人は、リング フィンガーとも呼ばれる左手の薬指には、心臓に直接通じる「vena amoris(愛の血管)」があると信じていました。 ローマ人はこの考えを取り入れ、結婚指輪を薬指にはめるようになりました。 この考えは解剖学的には正しくありませんが、指輪を左手の薬指にはめる慣習は今も続いています。

3世紀のローマ時代のゴールドのフェデ リング。 提供:The Metropolitan Museum of Art (メトロポリタン美術館、CC0 1.0)
婚約指輪の発展—中世およびルネサンス期の結婚指輪
中世の時代から、結婚指輪には貴石がセットされるようになりました。 中世ヨーロッパ人は、情熱の象徴としてルビーを、天国の象徴としてはサファイアを、そして揺らぐことのない強さを表すのにダイヤモンドを使用しました。

中世後期のダイヤモンドとルビーの指輪。 提供:Leicestershire County Council(レスターシャー州議会、CC BY-SA 4.0)
中世ヨーロッパでは、ローマ風のフェデ リングと肖像を彫ったポートレート リングが両方とも人気を博していました。 1600年代頃から、フェデのモチーフがギメル リングに取り入れられるようになりました。ギメル リングは、二本または三本の互いに重ね合わせたバンドから成る指輪です。 恋人たちは婚約期間中、それぞれのバンドを身に付けます。 結婚式では、新郎が自分のバンドを新婦の指にはめ、二人の結婚指輪を合わせて一つのセットにしました。 二本を合わせてできた指輪は、二つの右手を結び合わせた形になりました。
フェデのモチーフは、1600年代頃にハートを持つ二つの手を表したクラダー リングへと発展しました。 クラダーのモチーフを使ったギメル リングには、三つ目のセンター バンドを使って宝石が二つの手で結ばれているように見せることもよくありました。 ルネサンス期およびエリザベス朝時代になると、ポージー リングの人気が高まりました。 これらの指輪には、バンドの内側または外側に詩が刻まれました。
植民地時代のアメリカに住むピューリタンたちは、ジュエリーを軽薄なものと考えていました。 そのため、ピューリタンの夫たちは指輪の代わりに妻に指ぬきを贈りました。 新婦が指ぬきを使って新居で使う衣服などの布を縫い終えた後、指ぬきの頭部をのこぎりで切り取り、指輪を作ることもできました。

このアンティークのクラダー リングの婚約指輪は、七宝製の二つの手の間に配置された、ダイヤモンドの王冠とその下のローズカットの大きなダイヤモンド製ハートが特徴。 そこには「ダドリーとキャサリン、1706年3月26日に結婚」と刻まれている。提供:Victoria and Albert Museum(ビクトリア アンド アルバート美術館)
女性がダイヤモンドの結婚指輪を身に着ける慣習はいつから?
現存する最古のダイヤモンド ジュエリーは紀元前300年に遡ります。 現在判明している最初のダイヤモンドの指輪はローマで発見されたもので、紀元100年代後期にまで遡ります。 当時のダイヤモンドはカットが施されず、輝きではなくその硬度によって珍重されていました。 記録されている最初の結婚指輪は英国の未亡人が遺言によって残しているもので、1300年代後半または1400年代前半にまで遡ります。 イタリア社交界で有名だった二人の1475年の結婚について書かれた詩には、「二つの意思、二つの心、二つの情熱がダイヤモンドで結ばれ、結婚によって一つになった」とあります。
有名なダイヤモンドの婚約指輪で最初のものは、1477年、オーストリアのマクシミリアン大公によってマリー・ド・ブルゴーニュに贈られました。 この指輪は、マリーのイニシャルであるMの字が刻まれた、平らな小粒ダイヤモンドでできていると言われています。当時結婚相手として最も望ましい独身女性であった未来の大公妃にふさわしい贈り物です。

この二枚の肖像画は、神聖ローマ皇帝マクシミリアン一世と彼の最初の妻マリー・ド・ブルゴーニュを、時を隔てて描いたもの。 公有財産
歴史的なダイヤモンドの指輪で他に有名なものには、女王エリザベス一世にアランソン公から贈られた指輪や、スコットランド女王メアリーにノーフォーク公トマスから贈られたものなどがあります。 いずれも結婚のプロポーズの際に贈られたものです。 しかし、二人とも成功には至りませんでした。女王エリザベス一世の臣民はフランス人に統治されることを望まず、スコットランド女王メアリーは後にエリザベス一世によって処刑されてしまいました。
ビクトリア女王がダイヤモンドのジュエリーを好んだことは有名ですが、そのためビクトリア朝時代にはダイヤモンドの婚約指輪の人気が高まり、装飾的になっていきました。

このダイヤモンドのクラスター リングはビクトリア朝後期のもので、1.20カラットのオールド カット ダイヤモンドがセットされている。 提供:1stdibs.com
婚約指輪と結婚指輪に別々の指輪が使われるようになったのはいつから?
中世のイギリスでは、結婚のプロセスは非常にシンプルでした。 カップルがすべきことは「現時点での同意」を互いに提示することだけでした。この同意は「wed(ウェド)」と呼ばれる物品の授受を通して表わされることが多く、この「wed」には指輪が頻繁に使用されました。 このように、「wedding(結婚式、ウェディング)」は男性が女性に指輪を贈り、女性がそれを受ける儀式でした。 8世紀にはこれが一般的になりました。 しかし、結婚式の合法性について混乱が生じることが非常によく見られました。 結婚式での証人や聖職者の出席が義務付けられていなかったため、カップルの一人または両人が後になって結婚式が行われたことを否定することも可能でした。

中世後期のこのゴールドの指輪には、カットが施されていないブラウン ダイヤモンドの結晶がセットされている。 著作権:GIA および Tino Hammid。 提供:Benjamin Zucker
そのため12世紀には、 キリスト教の教会が結婚を聖蹟であると宣言し、教会での儀式を確立しました。 指輪は儀式の一部であり、男性は、結婚する意思がある場合を除き、女性の指にいかなる指輪もはめてはならないという慣例が定着しました。 それまでは、指輪は必ずしも結婚を意味するものではありませんでした。 献身のしるしとして、または婚約を象徴するものとして贈られることがよくありました。 教会が結婚を体系化したことで、より個人的である婚約指輪と教会が承認する結婚指輪という二種類の指輪が登場した可能性があります。
男性が結婚指輪を身に着ける慣習はいつから?
前世紀までは、結婚指輪は主に女性が身に着けるものでした。ただしキリスト教の教会では、男性が誠実であり続けるよう結婚指輪の交換を奨励していました。 両者が指輪を身に着ける慣習は、第二次世界大戦時に流行しました。アメリカやヨーロッパの兵士たちが、本国にいる妻や恋人を思い出すために結婚指輪を身に着けたのです。 この慣習は朝鮮戦争が終わるまで続きました。 その後、男性用の結婚指輪が民間人の間でも人気を博しました。

ゴールドとダイヤモンドのペアの結婚指輪。 写真:Martin Jaud。 提供:mjaud – Fotolia
ダイヤモンドの婚約指輪はどのようにして慣例化したか?
1940年代までは、ダイヤモンドは婚約指輪の石として使用される数多くの宝石の一つにすぎませんでした。 高い人気の理由は主にデビアスにあります。デビアスはダイヤモンドを扱う大手企業で、当時、世界のダイヤモンドの大部分を支配していました。 1930年代の景気後退で消費者がダイヤモンドの購入を控えるようになった時、デビアスは一大マーケティング キャンペーンを開始しました。
デビアスはハリウッドの女優たちが映画の中で身に着けるためのダイヤモンドを提供し、ダイヤモンドを魅惑的なロマンスの象徴としたのです。また、パブロ・ピカソやサルバドール・ダリを広告用ポスターの制作に登用し、ダイヤモンドが芸術品であるというメッセージを伝えました。 1947年にデビアスが「ダイヤモンドは永遠の輝き」という広告用スローガンを採用したほか、1953年にはマリリン・モンローが「ダイヤモンドは女の子の親友」というフレーズを一般に普及させました。

映画「紳士は金髪がお好き」で、「ダイヤモンドは女の子の親友」を歌うマリリン・モンロー。提供:www.drmacro.com。公有財産
1950年代および60年代までに、ダイヤモンド文化は広く浸透していました。 男性にとって、高価なダイヤモンドを贈ることは、相手がそれだけの「価値がある」女性だということを表現する方法だったのです。また、男性の甲斐性を示す手段でもありました。 デビアスのマーケティング活動によって、アメリカではダイヤモンドの婚約指輪を受け取った花嫁の割合が、10%(1939年)から80%(1990年)へと上昇しました。 中国でも、デビアスがダイヤモンドのプロモーションを始めて以来、1990年代にはゼロに近かったダイヤモンドの婚約指輪を受け取る花嫁の割合が、2019年には50%を超えるまでに成長しました。
現代の結婚指輪と婚約指輪の意味
婚約指輪と結婚指輪は、昔も今も、誓い、愛、そして献身の象徴です。 かつて結婚指輪は、カップルや両家の間の約束と契約を意味していました。 それらはまた、男性の約束が「金と同様に有効」であることを証明するしるし、または保証金でもあったのです。

このダイヤモンドの婚約指輪は、プラチナにセットしたラディアント カットのセンター ストーンが特徴。 提供:Ritani
ここ数十年、結婚指輪は個性やパートナーシップを表すステートメントとして、男女ともに身に着けるものへと進化してきました。 結婚指輪と婚約指輪は今や、西欧諸国のみならず、カップルが愛の証明となるもの、そしてファッション アイテムの中で輝きを添えてくれるものを求めるあらゆる国で、結婚において無くてはならないものとなっています。